紀元前705年(きげんぜん705ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元49年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前705年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
- 干支 : 丙子
- 中国
- 周 - 桓王15年
- 魯 - 桓公7年
- 斉 - 釐公26年
- 晋 - 晋侯緡2年
- 秦 - 寧公11年
- 楚 - 武王36年
- 宋 - 荘公6年
- 衛 - 宣公14年
- 陳 - 利公2年
- 蔡 - 桓侯10年
- 曹 - 桓公52年
- 鄭 - 荘公39年
- 燕 - 宣侯6年
- 朝鮮
- 檀紀1629年
- ユダヤ暦 : 3056年 - 3057年
できごと
中国
- 盟と向は鄭に和議を求めていながら、鄭に叛いた。鄭・斉・衛の連合軍が盟と向を攻撃した。周の桓王は盟と向の民を郟に移させた。
- 曲沃の武公は晋の小子侯を誘い出して殺害した。
オリエント
- アッシリア王サルゴン2世が戦死。
- 後継のセンナケリブはドゥル・シャルキンからニネヴェへ遷都。
誕生
死去
- サルゴン2世、新アッシリア帝国の王
- 晋の小子侯
脚注



