糸井 しだれ(いとい しだれ)は宝塚歌劇団生徒(団員)の芸名で、2名がこの名を用いている。

  1. 初代・糸井しだれ(旧姓:宮田、1919年9月21日 - 1945年7月24日)
    大阪市船場生まれ、出身校は茨木高等女学校(現在の大阪府立春日丘高等学校)。宝塚歌劇団21期生。愛称はミヤス
  2. 二代目・糸井しだれ(8月21日生まれ)
    初代の姪にあたる。出身地は大阪府茨木市、出身校は大阪府立島上高等学校。身長155cm、愛称カヨ(ちゃん)。1963年入団、1966年退団。49期生。

本項では1.について記述する。

来歴・人物

1931年、女学校を中退し21期生として入団。(同期には轟夕起子、服部富子などがいる)。

長い間、目立った役に恵まれなかったが、1938年頃から注目を浴び、主演娘役(春日野八千代らの相手役)をつとめるようになる。

時期を同じくして「あひるは水が好き」(コロムビア29494)でレコードデビューも果たす。

1939年のヨーロッパ公演にも参加し、翌年には山田栄一や古賀政男作曲の流行歌を吹き込むなど、活動の場を広げて行った。

稲村隆正によると、小西六写真工業(後コニカを経て現コニカミノルタ)の本社にあったトライパックの見本が8×10in程に引き延ばされた彼女の写真で、夢のような美しさであったという。

慰問活動などにも積極的に参加し、戦地に赴くこともあった。初期には三枚目の千村克子とコンビを組む形で舞台に立っていたが、人気が集まってくると、「…の歌手」という役どころで喉を披露していた。

1945年、結婚のために宝塚を退団。三重県津市の陸軍軍人の家に嫁いだが、間もなく同地を襲った大空襲に遭遇し、避難した防空壕に不運にも爆弾が直撃し死去。わずか26年の生涯であった。

日本で最初に映画『オズの魔法使』の主題歌『虹の彼方に』を1940(昭和15)年の公演、『サイエンス・ショウ』の劇中で『雲間の吊橋』という題名で日本語歌詞でカヴァーし歌った。


注釈

出典

参考文献

  • 『現代カメラ新書No.16、私のカメラ初体験』朝日ソノラマ

宝塚、懐かしの写真館(91)昭和14年6月、糸井しだれ、狩衣時雨、藤花ひさみ、など つぶやき館 (元祖つぶやき館) 移転しました

Yahoo!オークション 芸SP盤1176 糸井しだれ/子守唄みんな海の子・...

【宝塚】マジ!?『虹の彼方に』が開戦直前の日本でもうあった! 糸井しだれ『雲間の吊橋』の衝撃【1940年】 YouTube

寶塚グラフ 昭和15年7月(50号記念特別増大号) 表紙・糸井しだれ(春日野八千代・桜町公子ほか) / 斜陽館 / 古本、中古本、古書籍の通販

歌劇 228号 昭和14年3月号 表紙画・松岡寛一「糸井しだれ」(〈「モロッコの豹」小夜福子、佐保美代子 「宝塚花物語」鶴萬亀子、藤花ひさみ