六角 広賢(ろっかく ひろかた)は、江戸時代前期の高家。高家六角家初代当主。官位は従四位下・木工権頭。

略歴

正二位権大納言・烏丸光広の次男として誕生した。始めは「桃園」の家名であったという。また、「六角」の家名は後世のもので、広賢時代には「六角院」を号していたという説がある。

正保4年(1647年)輪王寺門跡になった後水尾天皇の皇子・守澄法親王の関東下向に伴い、江戸に下る。徳川和子の意向によるものだったという。

万治元年(1658年)12月9日、卒去。子の広治は高家旗本に取り立てられた。

脚注


六角義賢

六角義賢 れきこん

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