渡辺 進(わたなべ すすむ、1952年8月25日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。

経歴

プロ入りまで

銚子商業では1970年]、四番打者、遊撃手として夏の甲子園予選東関東大会に進出。準決勝で鉾田一高の、後にプロで同僚となる梶間健一を打ち崩し、決勝ではエース鵜沢達雄を擁する成東高に9回サヨナラ勝ち。夏の甲子園に出場し、高知商を破って2回戦に進出するが、この大会に準優勝したPL学園の新美敏に完封負け。

現役時代

1971年のドラフト4位でヤクルトアトムズに入団。

1976年には開幕から遊撃手として起用され、69試合に先発出場。その後も水谷新太郎、永尾泰憲とレギュラーを争う。

1978年の阪急ブレーブスとの日本シリーズは2試合に出場した。

1979年には杉村繁の台頭もあって出場機会が減少する。

1980年には移籍したデーブ・ヒルトンに代わり開幕からレギュラー二塁手として起用される。

1981年には初めて規定打席(27位、打率.267)に達する。

1983年は同じ二塁手であるボビー・マルカーノの加入により主に三塁手として起用され自己最高の19本塁打を放つ。同年5月12日、7月31日の横浜大洋戦でいずれも同じ斉藤明夫からサヨナラ本塁打を打っている。

1984年には大杉勝男引退後の後継一塁手として起用され、自己最高の打率.281(22位)を記録する。

1985年に広沢克己が入団してからは出場機会が減っていく。

1987年限りで現役引退。

1987年のヤクルト在籍時にチームメイトとなったボブ・ホーナーは、著書『地球のウラ側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった』の中で、同じ幡ヶ谷のマンションに住み、また渡辺が英語をよく喋れたことから、レオン・リー以外ではいちばんよく話をした選手だったと記している。

現役引退後

1988年から1989年まで一軍守備コーチ。

1990年は二軍打撃コーチ。

1991年は一軍打撃コーチ。

1992年から1999年まで一軍守備走塁コーチ。

2000年から2005年までチーフコーチを務め、関根潤三・野村克也・若松勉の3監督に仕え、5度のリーグ優勝と4度の日本一に貢献した。

2006年からはフロント入りし編成部次長渉外担当を2013年まで務めた。

2014年からは日立製作所のコーチに就任。

2020年まで務めた。

2022年からはSUNホールディングスのヘッドコーチに就任。

詳細情報

年度別打撃成績

記録

初記録
  • 初出場・初先発出場:1972年10月7日、対広島東洋カープ24回戦(広島市民球場)、8番・遊撃手として先発出場 
  • 初安打・初本塁打・初打点:同上、5回表に千葉剛から
節目の記録
  • 1000試合出場:1986年8月3日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤ球場)、8回表に水谷新太郎の代打として出場 ※史上262人目
その他の記録
  • 1試合4二塁打:1981年9月24日、対横浜大洋ホエールズ24回戦(横浜スタジアム) ※史上4人目

背番号

  • 36 (1971年 - 1980年)
  • 7 (1981年 - 1987年)
  • 81 (1988年 - 2005年)

関連項目

  • 千葉県出身の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

脚注


渡辺迅後援会事務所(わたなべじん)

Tokyo, Baseball Cards, History, Sports, Hs Sports, Historia, Tokyo

渡辺聖 JUNON TV

webnews/ポンチョさんの「直筆サイン天国」

天台宗前座主、渡辺恵進氏が死去 産経WEST